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この遺書は永遠に語り継がれる 【死刑の前 – 幸徳秋水 1911年】

明治44年1月24日、大逆罪の故をもって絞首刑となった作者の死後、監房内に残されていた絶筆。終戦直後、司法省の焼却書類のなかから偶然発見されたものだという。 五章の構成で書き始めたが、一章のみで中断されている。「死刑そのものは、なんでもない」などと、秋水の生死観、死刑論が展開されている。 往年の文豪、有名な作家たちが残した短編及び長編小説、手記や学説などの日本文学の名作を、高性能な音声合成での読み上げによる朗読で、オーディオブックを画像や動画を交えて作成し配信しています。気に入って頂けましたら、是非ともチャンネルの登録を宜しくお願い致します。 https://www.youtube.com/channel/UCh1vjPdcO05HvBflROTsxmw?sub_confirmation=1 ■一部抜粋  一  わたくしは、死刑に処せらるべく、いま東京監獄の一室に拘禁されている。  ああ、死刑! 世にある人びとにとっては、これほどいまわしく、おそろしい言葉はあるまい。 いくら新聞では見、ものの本では読んでいても、まさかに自分が、このいまわしい言葉と、眼前直接の交渉を生じようと予想した者は、一個もあるまい。 しかも、わたくしは、ほんとうにこの死刑に処せられんとしているのである。  平生わたくしを愛してくれた人びと、わたくしに親しくしてくれた人びとは、かくあるべしと聞いたときに、どんなにその真疑をうたがい、まどったであろう。 そして、その真実なるをたしかめえたときに、どんなに情けなく、あさましく、かなしく、恥ずかしくも感じたことであろう。 なかでも、わたくしの老いたる母は、どんなに絶望の刃に胸をつらぬかれたであろう。  されど、今のわたくし自身にとっては、死刑はなんでもないのである。  わたくしが、いかにしてかかる重罪をおかしたのであるか。 その公判すら傍聴を禁止された今日にあっては、もとより、十分にこれをいうの自由はもたぬ。 百年ののち、たれかあるいはわたくしに代わっていうかも知れぬ。 いずれにしても、死刑そのものはなんでもない。  これは、放言でもなく、壮語でもなく、かざりのない真情である。 ほんとうによくわたくしを解し、わたくしを知っていた人ならば、またこの真情を察してくれるにちがいない。 堺利彦は、「非常のこととは感じないで、なんだか自然の成り行きのように思われる」といってきた。 小泉三申は、「幸徳もあれでよいのだと話している」といってきた。 どんなに絶望しているだろうと思った老いた母さえ、すぐに「かかる成り行きについては、かねて覚悟がないでもないからおどろかない。 わたくしのことは心配するな」といってきた。  死刑! わたくしには、まことに自然の成り行きである。…

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オーディオブック 名作を高音質で 【スポールティフな娼婦 – 吉行エイスケ 1930年】

巡洋艦アメリカ号が投錨しにぎわう港町。船員相手に商売をする、はすっぱで気まぐれな娼婦マリが繰りひろげる騒動の数々。猥雑な娼家街で生きる女たちと私との気ままな関係をつづった交遊録。 往年の文豪、有名な作家たちが残した短編及び長編小説、手記や学説などの日本文学の名作を、高性能な音声合成での読み上げによる朗読で、オーディオブックを画像や動画を交えて作成し配信しています。気に入って頂けましたら、是非ともチャンネルの登録を宜しくお願い致します。 https://www.youtube.com/channel/UCh1vjPdcO05HvBflROTsxmw?sub_confirmation=1 ■全文抜粋 夜の小湊は波打ぎわの万華鏡のなかに、女博物館が開花していた。 その夜は湾内に快速巡洋艦アメリカ号が投錨した夜なので、女達の首にはたくましいヤンキーの水兵の腕がからんでいた。 山下界隈の怪しい酒場で酔泥れた一列の黒奴の火夫達が、最新流行歌をうたって和服の蠱惑の街に傾いた。  その前日から、小湊のチョップ・ハウスの断髪女を中心にした三つの殺人事件が本牧横町の街を騒がしていた。 数日前「Matsu・ホテル」のダンス・ホールでもと吉原の遊女であった中年の女将が殺害された事件。 その翌日、朝鮮の青年が「天界ホテル」の寝室にいた白痴のマリを殺害しようとした未遂事件。 「アオイ・ホテル」のお六の亭主が東京郊外で令嬢殺しの疑いで拘引され、娼家街のマリアとしてお六のコケットな写真が新聞の三面を賑した事件。  それにもかかわらず、Matsu・ホテルの青い建物では満艦飾のグロテスクな女が意気で猥雑なブラック・ボトンを踊り、天界ホテルでは白痴のマリが、薔薇の花の模様のついた着物の裾を危機一髪のところまでまくって、米国水兵のまえでチャルストンをジャズに合せて踊っていた。 部屋の片隅にはアオイ・ホテルから小湊へ事件後返り咲いたお六が、南京刈の男のウィンクに応じて立上るとショートオオダァのために別室に消えた。  そのころ横浜市は、あの上層の位階にある人の来市を待つために多額の復興資金が庁より付与され、ルネッサンス式の建築の黄金塔のそびえる庁舎を中心にして、外観の美を競うようにグランド・ホテルは白い影を水に映し、鉄筋にかこまれた廻送問屋が古代の面影を失い、万国橋より放射される街路にはエトランゼに投げられる魅惑的な和風の舌が色彩をあたえ、建設を急ぐ生糸市場の肋骨の下には市を代表する実業家が黒眼鏡に面を俯せていた。 しかし麗屋の市街にもかかわらず内容の空虚は殆んど収拾することのできない傷手を市民にあたえていた。  数日前、私は弁天町の金銀細工の街をマリとあるいていた。 マリは賛沢品の商品窓を感ずると突然競馬馬のように駈けだすのであった。 ソウペイ・シルク店ではアル・ヘンティナの踊着のようなイヴニングを買約すると、マリが私に言った。 「おい此ドレスなあ。黄に買わして喜ばしてやるんだ。」 「マリ、黄はお前と夫婦になりたいと云ったぞ。」 「毎夜おれが酔って、いびきかいてるうちになあ、彼奴そんな真似をしているんだよ。」 「よせ、冗談は。黄は子供の頃京城で結婚した女と別れて晴れてお前と夫婦になりたいと真剣だったぞ。」 「よし。こん夜は彼奴の向うずねを蹴ってやる。」とマリは馬のような口をひらいた。  ミミ母娘美容院では、パーマネント・ウェーブの電流が蜘蛛の手のように空中にひらいて小柄なスイス公使夫人の黒い髪に巻きついていた。 私達は再び丸善薬品本店まで引返して怪しげな英語の名前を云って買物をすると、本町のニューグランド・ホテルの方へあるいて行った。…

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